ふきよせるかぜになびく文

根無し草の戯れ言です。労働とか文化とか。

never surrender

 僕のまちの映画館は、妙に遅れたタイミングで少し前の話題作を上映することがある。観たかったけど観れてない作品をやってくれると大変ありがたい。『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』もその一つだ。

 数年前に公開され、メリル・ストリープアカデミー賞で最優秀主演女優賞を獲った『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』が個人的にとても好きだったので、英国首相ものに外れなしの予感があった。

 映画は、与党内の政治的混乱を収めるべく首相に選ばれたチャーチル第二次世界大戦を勝利に導くまでを描く。僕は去年『ダンケルク』を観ていたので、あの壮絶な撤退戦の内幕をイギリス側から垣間見れた気がして、興味深かった。ワンセットで観ることをおすすめしたい。

 そして今日、言いたいことは一つだけ。 

 地下鉄に乗りこんだチャーチルが、ヒトラーとの和平交渉に応じるべきかどうかを乗り合わせた市民に聞くシーンだ。それは、政府与党内の意見がナチスとの交渉を有利に進めるための早期降伏に傾き、主戦論チャーチルにも迷いが生じ始めていた。まさにそのときのことであった。

 だが、チャーチルがそこで耳にしたのは「絶対に降伏してはいけない」という乗客たちの声だった。チャーチルナチスと戦い続けることを選択し、これがダンケルクにおける救出作戦の成功、そしてのちの連合軍勝利へとつながるのである……というのが映画後半の流れである。

 さて、一応調べたが当然のことながらこの地下鉄のシーンは創作である。英国首相が身一つで地下鉄に乗ったりはしない。もちろん実在の人物を扱った作品に架空のエピソードがあっても何ら問題はない。むしろ、その人物の人となりを際立たせるために効果的となる場合も多い(というか、それが狙いだ)。実際、チャーチルは国民との対話を大切にした政治家だったらしいから、地下鉄の場面は重要なシーンだったとも言える。

 ただ僕はそれがチャーチルの政治的決断を後押しした、というより決定打になったという描かれ方に少し違和感を覚えた。国民たちから意見を聞いて、これが本当に国民が望んでいることなんだ!と地下鉄の車内で意を強くするチャーチルが、党内の権力争いや王室との対立、目まぐるしく変わる戦況、そういった難題を前に苦悩してきたそれまでの姿に、少なくともぴたりとは重ならなかったのだ。

 それは『ショムニ』『HERO』『カバチタレ』といった既得権益や固定概念、古い価値観に立ち向かうタイプの主人公が活躍するテレビドラマの終盤でよく見る光景だった。英国の偉大なリーダーを描く作品で、ラストにエンタメ色の濃いカタルシスを持ってくるのはどうなんだろうと、僕は少し感じてしまった。

 もっともそういう展開を可能にさせるのは、チャーチルが絶対的な権力者ではなくて、党内での政治力学や国民世論にも目配りするような普通の(あるいは凡庸な、時にポンコツの)政治家としての一面を持っていたからだ。事実、映画の前半では野党の協力を得られるという理由だけで首相に選ばれた経緯や、過去の数々の失政、所属政党を変える節操のなさなどにも触れられている。

 つまり本作は、第二次世界大戦を勝利に導き、名宰相として知られるチャーチルが、少なくとも首相就任前までは偉大ではなく、むしろしくじりまくっていた偏屈ジジイだった、そういう人間くさい部分にこそ光を当てたかったのだろう。

 イギリスでは今でもチャーチルの人気が高いと聞くが、それは戦争に勝ったからだけではなく、そのような人間味によるところが多いのかもしれない。期せずしてメインストリームに流れ込んできて、大きな渦を巻き起こす傍流の人はいつの時代も好まれるようだ。そういえば、サッチャーだってまさにそういう存在ではなかったか。