ふきよせるかぜになびく文

根無し草の戯れ言です。労働とか文化とか。

古いドラマを持ち出して

 機械などの構造や性能を表示したもの。仕様。また、仕様書。

 手元の電子辞書には、そう表示されている。

 電子機械に暗い僕でさえ、時たま耳にするスペック。specificationの略だ。ちなみにspecificationを英和辞典で引くと明細、基準、水準、仕様書などと出てくる。TOEICをたまに受けるけど、試験では明細や仕様書の意味で出てくることが多い。

 電子辞書の言葉を借りれば「性能」というのが大元の意味で、そのものだったり、それが書かれているものだったりと比較的広く使われているようだ。いずれにせよ、おもにパソコンをはじめとする精密機器に向けられてきた言葉である。

 だけどここ数年、機械以外への使用例を耳にすることが増えた。人である。いや、人というより男だ。結婚適齢期に差し掛かった女性たちが学歴や年収、社会的地位、容姿といった尺度で男性を値踏みするときに「あの人はスペックが高い」などと口にしている。そう言えばこの前テレビで「ハイスペ合コン」なるものもやっていた。

 得も言われぬ不快感を覚えるのは、僕がポケベル並みのスペックを自認しているからだけではない。とはいえ、妙齢の女性に対し、結婚相手に経済力や社会的なステータスを求めるなと言っているわけでもない。

 かつて現職の厚労相による「女性は産む機械」という発言が問題になったことがある。改めて前後の文脈を確認してみると、必ずしも女性を蔑視しているわけではない。それでも有権者は敏感に反応した。これも名状しがたい不快感のせいだろうか。

 気象庁の発表する不快指数なら、それは高温と多湿によるものだとすぐにわかるのだが、心の機微は温湿度計で測れたりはしない。要するに僕たちは、なんでもこなしちゃうパソコンではないし、効率よくモノを作るためのマシンでもないのだ。

 「やまとなでしこ」というドラマがある。玉の輿を狙って日夜合コンに励む松嶋菜々子扮する客室乗務員の桜子が、やがて本当の愛を見つける物語だ。毎年のように再放送されている時期があり、7〜8回くらい見てる気がする。出演者の一人が不祥事(というか刑事事件)を起こしたせいで再放送されなくなって久しいが、見ていない人にはオススメしたい平成を代表する秀作だ。堤真一出世作でもある。脚本は中園ミホだ。

 なぜそんな古いドラマを持ち出したかといえば、あの当時もし「スペック」という言葉があったなら、桜子はその言葉を使っただろうか、と考えてしまうからである。桜子は美貌を武器に合コン相手の品定めを繰り返していたけれど、決して「悪女」や「嫌な女」として描かれたわけではなかった。なぜか。

 高級マンションに住むふりをしながら、洋服を買うためおんぼろのアパートに住む虚栄心。頻繁に差し挟まれる貧しかった幼少期の回想シーン。しつこいくらい貧乏へのコンプレックスを示すことで、彼女はある種のチャーミングさとワケあり感を獲得していたからだ。周到な人物設定によって反感を持たれないキャラクターに仕上げた脚本と演出は巧みだったと、今になっては思う。

 桜子を憎めない人間にするためあれこれ手を打っているのに、もし「あの男はスペックが低いわね」などと言い捨てるセリフがあったらどうだろう。少なくとも僕は心穏やかにドラマを観られる自信がない。

 本来、機械に対して使っていた言葉を使うことは、内面や人柄に興味を持てない人間であると宣言するに近い。そういう人に「スペックの高い男性」は果たして興味や関心を持つのだろうか。

 人は自分という物語を生きているというけれど、僕たちの記憶にとどまる物語の主人公たちはどういう生き方をしているのだろう。