ふきよせるかぜになびく文

根無し草の戯れ言です。労働とか文化とか。

フェイスガードの余得

 プロ野球選手が、あごから口元を覆うフェイスガードを着用するのをよく目にするようになった。元々は顔付近に死球を受けた選手が、復帰後に着けるケースがほとんどだったが、厳しい内角攻めにあう強打者や外国人選手を中心に広がっているようだ。

 先日、フェイスガード関連のネット記事を読んでいたら、巨人の坂本勇人選手が単なる死球対策だけでなく、打席に集中できている感じがすると、フェイスガードの思わぬ効果に言及していた。

 なるほど、視界が狭まることによって不要な視覚情報が遮断でき、向かってくる球にもミートしやすくなるというのは、未経験者の僕でもなんとなく想像がつく。

 そういえば、何かをよく見ようとするとき、子どもが手で双眼鏡を真似た仕草をよくする。もちろん僕もした。実際に遠くのものが大きく見えるわけではないが、視野が絞られることで対象物にフォーカスしやすくなるという効果が全くないわけではないだろう。よく聞こうとするときもまた、耳の後ろに手をやったりするが、これもまた「ちゃんと聞いています」というポーズではなく、相手の声を正確に聞き取るための知恵である。

 すなわち我々はもともと備わっている機能を拡張するのが得意なのである。それは、「手」の本来的な目的ではないが、それはフェイスガードも同様だろう。

 先日、伸び散らかした髪のセットをするのが面倒臭くなり、珍しくキャップをかぶって出かけ、スターバックスでいくつかの作業をしたのが、いつもより集中できている感覚があった。気のせいといえばそれまでだが、前髪をいじらずに済み、テーブルに目を向ければバイザー部分のおかげで、強力な「前方不注意」状態が完成する。目深にかぶればかぶるほどに。

 しかし、よくよく考えてみると、もっとも手っ取り早いのはメガネではないかという気もする。僕がかけるのは字幕映画を観る時くらいだが、メガネをすると対象物以外への注意は向きにくくなる。

 勉強好きで頭のいい生徒はメガネというステレオタイプがあるが、勉強をいっぱいしたから目が悪くなったのではなく、生来目が悪くメガネをしているぶん、集中力が高く勉強ができるようになったという可能性はないだろうか。

 小学生で漢字テスト0点、中学生で数学のテスト31点を叩き出した、当時の僕の取り柄が、圧倒的な視力の良さだけだったことがこの仮説を補強している。

 今でも地方を中心に自転車通学の児童や学生がヘルメットをしているが、彼らにもフェイスガードを! という機運が高まれば、そのまま授業に出席することをお勧めしたい。生徒たちが内角の球を見事にさばけるようになるわけではなく、集中力の維持・向上が期待できるからだ。